流れとよどみ-夢まぼろし
このエントリーでは、流れとよどみ [大森荘蔵 著]を読んでのまとめと感想を記します。
今回は全21章のうちまず第1章について書いていきます。
1.夢まぼろし
この章の主旨は、夢まぼろしは非在を意味するのではなく、自分の命と生に関わりない存在を指す概念であるということにあります。
夢幻は現実の鏡像であり、これを語ることは現実とは何かと語ることでもあると断った上で、まず幻の具体例として幽霊が挙げられます。その幽霊が幻であるゆえんは、見えるのにさわれないからであることに尽きると言えます。それは、さわるということを通して私たちは生命を維持したり損じられたりすることから、さわるということが否応なく自分の生命に関わる現実の核であるという解釈に依り主張されます。また幽霊と同様に、夢もその無秩序さと記憶の不明瞭さ、すなわち現実と疎遠であるために「夢」と言われるのです。
幽霊も夢も、夢まぼろしとして称されるものは見えるが触れ得ぬ生き死にに関わらぬ存在として、見えて触れえる生き死にに関わる存在、すなわち現実と区分されることになります。夢幻は存在しないと言う者もみられますが、それは食べられないものを無いなどと言って意識の外に出すことと同じことなのです。
私はこの幽霊を代表とした夢幻について、ありふれた意見を持っていました。すなわち、経験的に実証不可能であり試行できない科学の外部にある概念を含むのだから何とも言えない、という消極的肯定の意見です。しかし、夢幻は現実を規定するための対になる存在概念という意見は実に新鮮でした。
幻や夢を現実ではなく存在しないと主張することはナンセンス、幻も夢も私たちの覚めた生活には関わりないという主張は実に冷めた意見ですがもっともです。また、あるときの痛みや感情や気分が幻だから意味がないというのもナンセンスです。なぜならそれは当人にとって、それは実際に感じるものだからです。原因が幻でもその結果である感情などは現実である。そのように私は考えます。
言われてみれば当然のこと、ちょうどコロンブスの卵のごとくきっかけを与えられれば誰でも気づくような意見に思われますが、よく私に資する新鮮な論説でした。
興味を持たれたらコメントしていただけると嬉しいです。
今回は全21章のうちまず第1章について書いていきます。
1.夢まぼろし
この章の主旨は、夢まぼろしは非在を意味するのではなく、自分の命と生に関わりない存在を指す概念であるということにあります。
夢幻は現実の鏡像であり、これを語ることは現実とは何かと語ることでもあると断った上で、まず幻の具体例として幽霊が挙げられます。その幽霊が幻であるゆえんは、見えるのにさわれないからであることに尽きると言えます。それは、さわるということを通して私たちは生命を維持したり損じられたりすることから、さわるということが否応なく自分の生命に関わる現実の核であるという解釈に依り主張されます。また幽霊と同様に、夢もその無秩序さと記憶の不明瞭さ、すなわち現実と疎遠であるために「夢」と言われるのです。
幽霊も夢も、夢まぼろしとして称されるものは見えるが触れ得ぬ生き死にに関わらぬ存在として、見えて触れえる生き死にに関わる存在、すなわち現実と区分されることになります。夢幻は存在しないと言う者もみられますが、それは食べられないものを無いなどと言って意識の外に出すことと同じことなのです。
私はこの幽霊を代表とした夢幻について、ありふれた意見を持っていました。すなわち、経験的に実証不可能であり試行できない科学の外部にある概念を含むのだから何とも言えない、という消極的肯定の意見です。しかし、夢幻は現実を規定するための対になる存在概念という意見は実に新鮮でした。
幻や夢を現実ではなく存在しないと主張することはナンセンス、幻も夢も私たちの覚めた生活には関わりないという主張は実に冷めた意見ですがもっともです。また、あるときの痛みや感情や気分が幻だから意味がないというのもナンセンスです。なぜならそれは当人にとって、それは実際に感じるものだからです。原因が幻でもその結果である感情などは現実である。そのように私は考えます。
言われてみれば当然のこと、ちょうどコロンブスの卵のごとくきっかけを与えられれば誰でも気づくような意見に思われますが、よく私に資する新鮮な論説でした。
興味を持たれたらコメントしていただけると嬉しいです。
2008.08.08 Fri 17:36
